Pyrographilica

パイログラフィリカ

日々のつまずき

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 何度も体験してきた生活のつまずきが、今回も起こってしまい、何もかもが嫌になるのでした。

 

 

 

 自分の思う楽しいこと、面白いことをやっていくのは、思いのほか難しいということをしみじみと実感する。

 お金や時間、あるいは場所、人的制約という縛りがあることは、私も知っていたし苦しめられてきたが、それはどうでも良いことだと思えてきた。

 

 最近の気づきは、自分が独りで思う楽しいことや面白いことは、「根拠」が存在しないから、その根拠になる裏打ちは「自分で」肉づけていく必要があるということ。

 非常に面倒な作業が求められる。しかし誰かが根拠をつけてくれたモノを享受していくだけでは、私はつまらないのだろうと思う。

 自分のやることに根拠が付けられていないから、私は独りで走ってはすっころび、孤立無援をかみしめることになるのだ。学習した方が良い。

 

 私自身が思う楽しさや面白さは、言葉や非言語であっても、もっと分かるように伝わるように、努力を重ねる必要があるのではないか、ということ。

 自分で自分を説明することには、あまり面白くないことにもつながりうる。極まると、「そもそも、これは面白いのか?」という虚無の刃を自分に向けることになるだろうから、結局その楽しい面白いを手放すことに向かっていく可能性も高まる。

 

 理想は自分がやりたいこと、自分に求められること、お金になることのバランスをとるべきだけれど、私の現状ではどうしてもやってしまうこと、作ってしまうモノに目を向ければいいのかもしれない。

 基礎的な要素でいいから、自分の要素がある程度含まれる作品を、たくさん作る必要がある。

 また自分のアウトプットする作品の方向性が、どういう印象を持たれるのか、自覚的であること。

 直感的に物事を進めるのは、自分の性質だからどうにもならないけれど、木を見て森を見ずになるのは、そろそろ変えていきたい。

 

 

 日々のつまずきは、予期できないから起こると思われるかもしれないが、予期できていてもやってしまうことでもある。そうして日々のどうにもならないことが、降り積もっていくと、元に戻すことができない状態になっていく。

 日々の疲れなどを管理するための時間を確保すべきと分かっているが、なかなか難しい。みんなも私も、疲れているから。