Pyrographilica

パイログラフィリカ

空ひとつ『気づき』の先に立つために

今週のお題「空の写真」

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この写真は桜の咲く頃に撮りました

空の写真は、夕焼けが気になりだすと、あちこち撮りに出かけますが、たいてい冬です。冬の空気はすんでいて、光の通りがいいからきれいだと感じるのでしょう。

焼けた空の何が良いかというと、空のグラデーションが美しいところ。

赤からオレンジ、そして青から群青色というグラデーション、そこに少し雲が浮かんでいると、空の表情もグッとよくなる。

グラデーションのかかった空を背景に、写真の主役になる建物やモニュメントがある場所を見つけられたら、文句はありません。

 

夕焼け、つまり「日の入り」ですが、同じく空にグラデーションがかかる「日の出」と比較すると、特別良い扱いを受けていません。

「初日の出」を見るのに一喜一憂する人はたくさんいると思いますが、元日の「日の入り」には名前すらありません。

このことに最初に気づいたのは誰かは知らないですが、詩人の吉野弘は『詩集<夢焼け>』の『元日の夕日に』という作品で、このことを書いています。

 

「名がないことは人間の無関心の証拠

それさえ気付かずに来た私たちの長い迂闊

その迂闊に少し恥ずかしい思いをしながら

私は

美しすぎる元日の夕日を

しばし見送っています」

 

 

元日の夕日に名がない迂闊さを恥じるところが、私が吉野弘作品が好きである理由だと感じてしまいます。

 

日の出は「みなぎる生命力を象徴している」と言うのか、日本古来ありがたがられますが、「初日の出」は明治時代以降に盛んになったようです。「日の入り」も、明治時代頃から名前がついたのかもしれません。

例えば、松尾芭蕉は「夕」という単語の入った俳句を詠んでいますが、「夕焼け」という言葉は使っていないようです。

一方、明治生まれの種田山頭火は、「夕焼け」の言葉が入った俳句がいくつもあります。

 

日の出の「空の写真」集といえば、私は山内悠の『夜明け』(2012年出版)を真っ先にあげます。

富士山7合目の山小屋に600日滞在して、定点観測的に撮られた写真は、当時も今も他に類をみない異世界の写真で、最初に「気付いて」写真をまとめて作品に仕上げた慧眼は、かっこよすぎると思っています。

 

私は朝に弱いので、朝焼け写真を撮れません。

空だけで勝負できる写真を自分が撮るのはあきらめていますが、大切な人の琴線に触れるような夕焼けの写真は、いつか撮れるようになりたいと思っています。