As with a bicycle, Koide Mawaru

日々の写真にまつわること。

#PY6 写真の練習

今週は、5日も写真を撮りに出かけたので、たくさん撮ったなぁと思うのです。(枚数もあるかもしれないけれど、時間的にも)

撮った写真の半分くらいは、はてなハイク用です。青赤黄色や○△□の写真を持ち寄って貼り付けるお題があるのです。

 

 

単純に街歩きをするのも、近所はもう限界だと思っているので、○△□を探したり、赤青黄色を集めたり、カラーコーンが珍しいところにないかと、気を紛らわせているのです。

そういうアンテナ感度を上げて街を歩くと、これまで見てたはずだけれど見落としている世界を見ようとするので、なかなか面白いです。

図形を見つけることが第一の目的になり、「いい写真が撮れるかな?」という動きが次に来ることになります。自分の興味アンテナ感度だけを上げて街を歩くのとは、まったく違う撮り方というか、興味アンテナとお題探しアンテナが同時に稼働している感じです。

 

そういう写真は面白さや達成感の反面、○△□を撮って、「これって自分の<作品>と呼べるかな?」というと、シャッターを切る練習であるとしか思えない自分がいたりして、なかなか難しくもあります。

絵を描くなら、均一な力で直線を引いたり、丸を描くことも、練習として十分価値があるものだと思いますが、私がやってるのは写真ですからね。

でも、位置ゲームで外を出歩くよりは楽しいのです。写真を見返して、「今日はこういう被写体が目に止まったんだなぁ」となるので。

 

話を戻して、○△□の写真が<作品未満>に思えてしまうことについて。

以前から街歩きの写真は好きで撮っている面と、遠出できなくてしょうがなく撮っている面があるのですが、街歩き写真は脈が細くなりがちで、自分でも1枚ではまったく脈がとれず、10枚とかもっとたくさんの枚数を見て、やっとぼんやりした何かを感じられるようになる状態なのです。

これが、○△□探しの写真となると、さらにもっと脈が微細になってしまうからのようにも思います。

これまで見落としていた世界を見ようとするので、まだ新たな発見や世界に通じるドアが見つかっていないから居心地が良くないのか、そもそもこのアンテナを維持しても新たな価値観を持てないのではないかという疑心もあります。

 

ちなみに○△□写真ではあまりにも単純な遊びをしているように思われるかもしれませんが、色ごとに写真を撮るのはカラーバスというアイデアを見つける手法があります。

 

考具 ―考えるための道具、持っていますか?

考具 ―考えるための道具、持っていますか?

 

 

実は、○△□も形状で写真を蒐集する方法も、カラーバスの派生であり、位置(たとえば天井)や場所(屋上など)で蒐集することも、この『考具』の中では勧められています。

このカラーバスという写真の撮り方は、注目する視点をいつもと違うジャンルにすり替えて、幅広く身の回りから「アイデアの種」を発見する方法であります。

だから、私は普段の街歩きのような写真が撮れず、撮った写真を自分で受け入れづらく感じたのかもしれません。割合くだらないと感じたり、一見意味不明な写真が増えることに、不安を感じて戸惑ったのでしょう。アイデアを考えるために、まず視線や頭の中を拡げて蒐集し、あとでじっくり吟味すればいいと、本書にも書かれています。

 

しかしこう書くと、カラーバスは「アイデアの種」を集めるための手法であり、作品をつくるための写真とは真逆のように思われたかもしれません。

最後に、カラーバスとよく似た手法で作品を作り上げた、写真家ベルント&ヒラ・ベッヒャーを挙げて終わりたいと思います。

d.hatena.ne.jp

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