As with a bicycle, Koide Mawaru

日々の写真にまつわること。

自分では客観できない自分

去年末のエントリーで、もう写真は諦め時かもしれないと、気持ちが傾いていた。

今年は個展を開催予定ではあるが、それ以降は写真の優先度は下げようかと。


自分の写真で世界をよくできるか?という、めちゃくちゃ大きなことを考えると、到底

無理だろうという結論しかない。大きすぎることを考えていることも、分かっているが。

世の中に写真は溢れかえっているし、その中で頭一つでも抜け出る要素を持った写真を自分が撮れるかというと、相当無理がある。

「インスタグラムが登竜門」とは言わないが、それすら攻略できてない自分には、越えられない壁だ。


写真を辞めるわけではない。

写真と自分は相性がいいと今でも思っているが、どうしても求道的にやりたくなるのが良くないなのだろう。

気持ちと腕がアンバランスなのか、あるいは無計画なのか。


あとは、どういう写真を撮る人であると認識されるか、もう少し自覚的にならないといけない。

写真自体が好きなので何を撮ってもいいはずだが、見る人からはわかりやすさを求められる。

どんな被写体、どんな雰囲気、どんな色合いなどなど。ある程度、軸をはっきりさせて、安定していないといけない。

 

でも、写真で世界に新しい何かを足していけないなら、わざわざ時間を作って写真を撮る理由もない。

きれいなだけの写真は、自分が興味を持てないし、そういう癖を自分につけたくない。

写真を見た1週間後に「あれ良かったな」とか、かすかに残ったイメージなり、写真を見たときの気持ちが蘇るような写真を撮りたい。


そういう欲を持ちつつ、全体的には優先度を下げていこう。

あるいは、撮った写真単体ではなく、他の知識や表現との組み合わせ(過去に少し試したが、特別いいとも言えない腕)ならあるいは…。(という諦めの悪さ)

 

何にしても、続けられること自体に価値があると思う。

「自分では、自分の写真の価値は分からない」ことが、正しいことのように思っている。