As with a bicycle, Koide Mawaru

日々の写真にまつわること。

猫について気づいてしまったこと

私はクラシック音楽に詳しいわけではない。ただ「夜に夜想曲を聴くと、心が落ち着く」という感想くらいは持つ。

 

私が夜想曲で好きなのは「月の光」である。非常に耳慣れた曲であると思う。

月の光が水面に映っている。そこへ少し風が吹いて、水面がキラキラと光りを散乱させる場面が、ぐっとくる。

でも耳慣れているがゆえに、演奏者による間のとり方で、ガラリと印象が変わる気がする。

私の耳に一番馴染む演奏をされていると思うのが、フジコ・ヘミングさんの演奏だ。

フジコ・ヘミングさんについてのドキュメンタリー映画が今年放映され、DVDにもなっているようなので、お元気な姿を一度見てみたい。

 

ところで、wikiフジコ・ヘミング語録なるものが少し載っていて

 

(「あなたにとってピアノとは?」と訊かれて)「猫達を食わせていくための道具ね」

 

という言葉が、パッと心に焼き付いた。

キザでユーモアのある言葉だが、重要な核心をついている。

 

私に 「あなたにとって写真とは?」と訊かれても、自分には猫がいない。

あるいは自分にとっての猫は、動物園の動物たちであり、写真そのものになっている。

だから写真やカメラから愛を引き剥がして、道具にすることはできっこないことに気づいた。

 

じゃあ10年続けてきた写真と、これからどう付き合っていくのか。

ということが、2019年に考える宿題なのかな。

 

猫。飼いたいねぇ。