As with a bicycle, Koide Mawaru

日々の写真にまつわること。

週報181223

空模様がよくない日が続いている。

つられて気分も沈んできた。

 

今週も撮影はゼロ。

 

写真展に向けて

動物写真の1次セレクトと編集を合計で10時間くらいした。目肩腰が疲れた。
2010~2018年で動物写真が1万枚くらいあった中から100枚選んで、L版にプリントすることに。

プリントは手間、時間やお金もかかるので、しまうまプリントにお願いした。

 

今の写真を撮り足したいのだけれど、体調が下り坂に入ってしまい、見通しが悪くなっている。

撮影は来年1月いっぱいくらいまで粘れると思っているので、なんとかなるといいな。

 

ぼんやりしたこと

写真を撮るようになって11年目、関西に移ってきて6年目に入ったが、写真を撮る仲間がいなくなったのが、一番の変化である気がしてきた。

だからといって今から関東に戻ったところで、関東の写真仲間だった人も、写真を続けている人はずいぶん減ったみたいなので、6年前にあった楽しさが取り戻せるわけでもないだろう。

40歳を過ぎて趣味の友だちづくりなんて、結婚して子どもがいたら、まず無理なのかもしれない。

 

関東で独身だったりDINKsである人たちと出会うことは、まだ難しくなかったが(若かったのもあるけど)、関西でそういう人と出会うことは、ほぼ無理だと感じる。

いわゆるマイルドヤンキーがマジョリティーであり、関西も所詮は大きな地方都市にすぎないということなんだろう。

自分がもし規模の小さな地方都市に移ることになったら、人生店じまいしたほうがいいと思うかもしれない。

 

写真は比較的孤独な趣味だ。でも完全に独りでは成り立ちえない趣味で、写真を見てくれる人が必要になる。

だから自分で写真展を開いたり、誰かの写真展を見に行って、仲間を見つけたり、写真や誰かの言葉に触発されたりすることが大事なんじゃないか。

SNSやブログで出会える人だけでなく、顔を合わせてこそやり取りできる機会があることで出来る何かに、自分は期待しているのだろう。

 

自分にできることは、石を切り出して積んでいくことなんだけど、自分に教会を作るようなイメージが持てているのかは怪しい。

結局、その教会は自分でイメージをつかむしかないと思うが、その経過にあるのは誰かとの間にあるもので見つかるイメージだとも思う。

来年に個展を開くことが、自分の写真に関する閉塞感に穴が開くことを期待しているけれど、どこかで何も変わらない気もしている。

 

私に向けて、「いい歳して何してんだよ」と白い目を向けてくる人がたくさんいる。一方で「頑張れよ」と思ってくれる人もいる。

以前なら「頑張らなきゃな~」ですませていたことが、「何を」「どうするのか」と、「明確に」「計測できる」ことで見ていかないと、また何も進んでいない時間が続いてしまうことが、最近やっとわかってきた。

時間を使っても、報われないことなんて当たり前にある。めぐり合わせで、ポンと進むこともある。

 

こうやってクヨクヨするのは程々にして、今できること、お金と時間、健康の自己管理を進めて、もっとビリビリしていこう。