Pyrographilica

パイログラフィリカ

週報180911

 朝晩は完全に秋の空気になった。日中も過ごしやすい。

 8月から1ヶ月、自分のやりたいことは何か?をボチボチ考えてきたけど、やっぱり現状を活かした何かのアウトプットはしたい。

 

ひとつは、アートフォトの方向。

もうひとつは、記録写真を撮る方向。

 

 これまで、出来る限りアートフォトを目指したつもりだったけど、アートフォトとしての「見えていない世界を見えるようにする」ということのむずかしさを、これ以上淡々と続けると、たぶん写真がつまらなくなる(飽きる)という予感がした。

  沿線旅は、写真で楽しむ気持ちを維持できるようにしていきたい。それを面白がってくれる人がいるなら、それでいい。なにせ、写真で日常を楽しみたいのだから。

 

 撮影は夜の散歩と、総持寺散歩。

 電車の沿線旅は一度やってみたいと、10年くらい前から思っていたことで、やっと試せてよかった。

 写真のアウトプットで、大きな資金がいらなくて、ネタはたくさんある。それが沿線旅のブログ記事をつくる楽しみな気がしている。

 でも私にとって、電車に乗るのは一苦労なので、どこまで続けられるかな?とも。阪急電鉄の駅全てとなると、数が多すぎるし、いつまで続くかわからないし。阪急京都線くらいは制覇したいな、という野心はあるけども。

 

 夜の散歩も、気温はちょうどいい感じ。でも台風のせいで停電してる地域があったりで、あんまり楽しくなかった。

 夜の散歩は、友人に普通に日常を撮ってると見られていたみたいだけど、夜の散歩は自分の内面に向かって撮っているので、一応アートフォトの流れである。

 ただ、写真のパルスが微弱なので、それを受け取れる人でないと楽しめないだろう。

 

 友人には、単写真でわかりやすい写真も撮ったら?といわれた。

 音楽で言うならアルバムとして売れるより、シングルで売れるようになった方がいいということなのかな。

 いわゆるポストカードになるような、「きれい」、「美しい」写真の系統を指して言われたと受け止めたけど、10年間写真を続けてきて、たくさんきれいな写真を見てきたので、世界の絶景と身近な良い景色の間の深い溝は、十二分に知っていて、きれいな被写体が簡単に見られないことは良く知っているし、そういう場所に足を頻繁に運ぶのも、腕も道具をそろえる資金もないし、現状では難しい。

 「どうしようかねぇ」というところもあるが、出来ることからやっていくしかない。