As with a bicycle, Koide Mawaru

日々の写真にまつわること。

週報170423

撮影

近所の散歩

 図書館の行き帰りにX100で撮った。

 撮れることは撮れるけど、あざといというか、いかにもという写真を撮ってしまった。こういう気持ちで撮ることを積み重ねていくのは、結果的によくない方向に進んでしまうと思う。

 

グルグル

 先週書いた「自分は写真に向いていないかも」というのは、つまるところ自分には写真作家をめざせるだけの力がないので、諦めた方がいいんじゃないかと感じ始めたからかもしれない。

 でもその反対にあるのは【きれいな写真】かなと思うが、そういう写真を見ても自分は憧れは持たない。

 そもそも、こうして言葉で現状を認識しようとすることが、自分の写真へのモチベーションを下げ、結果的にグルグルにはまっているんじゃないか。あと理想が高すぎるのかな?そんな気はする。

 言葉で写真を認識することに意識が偏っていると感じるので、目や耳の認識にも重心を置けるようにしていきたい。

 もとより写真を撮っている時間は目に力を入れているが、撮った写真の編集をする段になると言葉で写真の善し悪しを決めようとしている。そこが問題点なのかも。

 

 言葉を使うとしたら意味を固定するよりも、言葉の裏にある歴史の広がりや、その風景を見ながら言葉を使えるようになりたい。

 言葉のトレーニングとしては、言葉を解体するようなこと、短詩や詩を読んだり作ったりすることが良いのかな?

 

 後は歴史的な写真家の写真をもっと見ること。

 自分に欠けているのは、ここは譲れないということ、自分の中で大事にしたいことが、弱いあるいは見えていないことだと思う。

 腕のある作家が撮った写真をもっと見ていかないと、自分がどういう影響を受けた結果、何で構成されて、駆動している人間なのかは、見えないのかもしれない。その上で撮らないと、自分の写真も読めないだろう。

 

 前回グルグルした時は、ひたすらもっと撮るという方針だった。そこから自分が成長したかよく分からないが、自分の実力の無さは見えるようになったのだろう。

 苦しさを別のもので誤魔化さずに、試すことを試して、もうちょっと時間を掛ければ、写真を続けるか止めるか見えてくるんじゃないか?

 今得ている感触はこんなところ。