As with a bicycle, Koide Mawaru

日々の写真にまつわること。

写真と言葉

 数年前、写真を撮る人間は自分の写真を言葉で表現できないといけない、という内容の話を読んだ記憶があるのだけれど、今も主流なのかな?

 たぶん現代アートとして、グローバルな写真作品を作る場合には、必要なことなのだと思うけれど、写真を撮る人間全員が、現代アートとして写真を撮っているわけでもないと思う。

 写真も絵も、簡単に言葉で表現できないから、視覚的に表現しようとするのであって、先に言葉で説明できるような写真や絵なら、その作者はもともと言葉で表現してもよかったのではないだろうか。

 そういう言語的中心を持たない写真を撮ってみたいな。要するに、訳のわからない写真になってしまうのかもしれないけれど、でも写真としての強度を持っている、というような写真。