As with a bicycle, Koide Mawaru

日々の写真など創作にまつわるよしなごと

他人同士でも共感できるところから

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 少し古いウェブ記事を読み、膝を打ったので、今日はその記事のお話を。

 

濱田英明に学ぶ 魅力的な「子ども写真」のアプローチ (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

 

 濱田英明さんは、SNSと写真の相性をSNS初期に見抜いて、「共感」が大事であることの芯をとらえた人なのだなと思いました。

 濱田さんの写真は、インスタやTwitterで見ていますが、光の柔らかさが好きです。あと、ポートレート写真の表情の絶妙さ。

 しかし濱田さんの写真には「自分にもこんな瞬間があった(かも)」と思わせる、パブリックな視点と共感を感じていたのか…?との解説に膝を打ちました。

 

 濱田さんの写真に共感している人々は、どういう層なのでしょうね?

 時折、台湾をはじめ海外でも撮影をされているようなので、海外でも共感を生むような雰囲気がある写真なのでしょう。

 

 一方で、他人同士が共感できる項目がどんどん少なくなっていくのは、もう時間の問題だと感じます。広がる所得の格差。子どものいる家庭、いない家庭。パートナーがいる人、いない人。

 

 世の中には、人々を分断させて金儲けをする人間もいます。

 濱田さんの写真が素敵なところは、写真を見る人には全員子どもの時代があったという前提が見えるところなのですね。

 たとえ子ども時代であっても、もれなくファミコンで遊んでいたような時代は、もう崩れ去っていますが、誰もが子ども時代を生き延びた生存者であることを足がかりに、見知らぬ大人同士がユナイトできる土壌がつくれるなら、写真はまだ夢を話していて良いのかもしれないと思いました。

 

 しかし、私の子ども時代は、ゲームもテレビも自由にはならない時代でした。

 私が子どもの頃何をして過ごしていたか、世間の大人と共通の思い出になりそうな話題は多くなさそうですが、この先も写真を撮ったり創作するなら、子ども時代を思い返していくのもいいかもしれないと思いました。

SNSとわたし

 

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まったりと乱雑に書いてきます

 最近、SNSの使い方やマーケティングの本を読んでみて思ったのは、自分が「はてな」のサービスを入り口にして、SNSを遊び場にしてきたので、「はてな」で慣れしたしんだSNSの使い方と、世の主流とされるSNSの使い方には、おおきな開きがあるように思うようになりました。

 「はてな」も、どういうサービスを続けるかということを、日々考え直しているように感じます。

 私はそういった専門家ではないので、ぼんやり雑なことしか書けないですが、自分にとっては良い機会なので軽く書いてみることにします。

 

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