As with a bicycle, Koide Mawaru

日々の写真にまつわること。

#PY6 写真の練習

今週は、5日も写真を撮りに出かけたので、たくさん撮ったなぁと思うのです。(枚数もあるかもしれないけれど、時間的にも)

撮った写真の半分くらいは、はてなハイク用です。青赤黄色や○△□の写真を持ち寄って貼り付けるお題があるのです。

 

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写真と言葉

年明けから、プロポトレ写真家が未熟なアマポトレ写真家をSNSでバッシングしてて、不毛だなと思っている。

私からすると、ブーメランで自分に返ってくる言葉のように見えて、非常にしょっぱい。

写真をやっている人間で、人にものを言いたいというか、伝えたいことがあるなら、グウの音もでないような写真を見せれば良いだけなんじゃないかな?もっと圧倒的に魅了する、手も足も出ないような写真を、出せばいいはず。

でも写真は、非言語で受容する表現だから、何かを否定するのには向かないはずなんだ。

そして写真は他の写真からコピーできる部分があるから、ロケーションやテクニックを盗めば、見た目としては大差ない写真が、ある程度腕があれば撮れてしまう。

だから、しょっぱい言葉をSNSに書きなぐるのかな?

ぬるいアマ写真家を否定したいという感覚そのものが、写真を趣味にする人口をへらすことにつながると思うし、しょっぱい言葉に賛同する自分の信者を囲うことになってるって、気づかないものなのかな。

 

批評する言葉を磨くことも大事だとは思うのです。私はできないけど。

「写真を撮る人間も、言葉で伝えることが大事」なんて言われたのは、現代アートで作品を見せていくには、言葉による説明が必要と喧伝されたせいだと思う。今もそういうことは、ポートフォリオレビューなどで重視されることなんだろうけど。

でもSNSでしょっぱい言葉でしか書けないなら、それは写真家が未熟だからだと思う。
言葉って物事を規定してそれ以外を否定する言語だから、しょっぱくない批評をするには、そうとうな訓練が必要だと思うのです。

プロの写真家をやっているから、プロの写真批評家もできる、ってものではないと思うのです。

とまあ、私もアマで写真を撮りながら、こうやってブログを書くのが好きだったりするから、こんなことを書いてしまうんだろうけど。

 

素晴らしい音楽を聞いて、自分がそれに応答する音楽を作る・演奏する、絵でもいいけど、音楽や絵で返礼するには、それ相応の経験がないとできない(と思ってしまいがち)のだけれど、言葉に言葉で返事をするのは、誰でも自分でもできそうだと思ってしまうことに、ものすごく大きな不幸があるように思う。日本語というか、子ども時代の教育に問題があるというか。

 

プロ写真家による、アマ写真家やプロ同士でもなんだけど、互いに否定し合う大きな構図って、5年に一度くらい見かける気がする。

特にポトレを撮っている人の間で。

自分はポトレを撮り続けたことがないので、分かってないかもしれないけれど、ハービーさんが「異性を撮るならラブレターのつもりで、同性ならファンレターのつもりで撮る」というようなことを言われていたことも、根にあるのかもしれない。

モデルさんを撮影するという、人間同士の感情的な付き合いが発生しているからかな、って。

その点、動物写真はどんな写真も、「あら!この子がこんな表情を!?」みたいな、幸せしかないと私は思っています。